November 06, 2006

「バリ王朝末裔の壮絶な死」


矯正歯科 : 鎌倉 dentfaco 山本歯科・矯正の Blog
カマクラデントフェイシャルオ−ソピディクス山本歯科・矯正
院長 : 矯正歯科医 : 山本一宏の ブログ 37)

チャロナランとケチャ

アナック・アグン・グデ・ラカ・カナカは
わたしたち
カマクラ・ロ−カル・タウン・サ−フ・チ−ムが
初めての合宿で,
インドネシア・バリ島を訪れた
1983年の早い春から
海外における親友のひとりで
しかも最も重要な友でした

Almost retired の今でも
わたしの7’10”のサ−フ・ボ−ドは
彼のウブドにある自宅に保管されております

わたしたちがバリ島に滞在している
間中かれは自分の仕事をすべて中断して
私たちに全部の時間をくれて
島のあちこちに案内してくれました

子育てのための10年間
バリを訪れることのなかった
私たち夫婦は
3年前にやっと晴れて
バリに心の旅をする余裕ができました

何もかもが様変わりしていた空港周辺から
旅行会社のシャトルに乗り
滞在先の
Four Season's Resort Bali at Sayanに
着いたときには
日はとっぷりと暮れ
聞きなれない虫の声と
南洋の花の香りの籠めた大気の中
乗物酔でぐったりとした
息子を半分すまないような気持ちで
見ていたことを記憶しています

フロントで彼の住所を告げ
翌日ヴィラに現れたカナカは
糖尿病が進んで
すっかり目も見えなくなっている様子で
ヴィラの入り口の階段で
よろけました

その頃は
以前の職業とは異なり
何百人もの弟子を従える
ヨギ−になったようでした

彼の遠隔で送る気は
誰もが皮膚感覚として感応しました

バリ王朝末裔A.A.Kanakaとわたし
写真はそんなある日
彼のRumah=家で夕食に誘われたときに
彼の念を入れた
黒檀の数珠を
プレゼントされたときのものです

次の年
彼の4女で,舞踏集団
「サダ・ブダヤ」のトップダンサ−
であるミラから国際ファクスがとどきました

”AGUNG KANAKA SAN WA MO NAKUNATTA DESU.
19JUN 2005. DEMO OSOSHIKI NO OMATURI WA
14 JULI 2005 DESU・・・”

プレボン(plebon)(因にス−ドラではンガベン=Ngaben)
=バリ式火葬によるお葬式は
ス−ドラではバデとよばれるが
王侯貴族ではワデ(wadah)の名の天にも届く
牛を型取り須弥山をシンボルとした
やぐらに火を放っておこなわれます

当日は仕事の調整がつかず
いけなかったのですが
2月遅れて訪れたとき
その一部始終をビデオで見せられました

親友が焼かれてゆく姿はショックでしたが
その死からは少し経過しているものの
家族や人々の顔に影が無いのは
バリ・ヒンドゥ−教では
死は生存の苦悩からの大いなる開放だと知って
少しだけ納得できました

「遺族に悲しみの顔が見当たらないのは、死者の霊は炎とともに舞い上がり天界に達し、よりよい存在となって生まれ変わると信じているからだ.・・・火葬されるまでに長い時間が経過しているからか、遺族が火葬の当日に泣き顔を見せることは少ない.しかし、バリ人も人の子. それまでの数日間は,悲しみ打ち沈んでいる.やはり、人の死は悲しいものだ」アパより・・・

壮絶たる彼の死に様は
後日長女ラカの夫のニョマンによって
語られた以下の通りでした

[more...]

15:13:46 | dendroboim | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks